中学生の頃、新選組の沖田総司に惹かれた時期がありました。
そのつながりで出会った本が司馬遼太郎の「燃えよ剣」です。
先に言っておきますが、中学生に「燃えよ剣」は勧められません。
はじめが今のモラルに合わない、どちらかといえば成年対象な展開です。
また、史実に沿って書いてあるにしても、司馬遼太郎色が強く、このまま新選組を理解するには難がある本だとは思います。
時代小説であることは心しておくべき参考書です。
そういった難点はあるにしても、新選組と言えばすぐに思い出すほんに、「燃えよ剣」は含まれています。
史実入門書、小説を合わせ、新選組について書かれた本を手当たり次第に読みましたが、手元に残っているのはこの本だけとなっています。
中身は、難しい政治の話もあり、その辺りは当時興味がなかったため読み飛ばしました。
途中人物が混乱し、読み返すこともあれば、あきらめてそのまま読み進めもしました。
長編で、要はとりあえず読み終えることを目標にページを進めていたのは覚えています。
近藤勇との長い付き合い、そして仲たがい、土方歳三のバラガキぶり、すべてが「世のオジサンはこういうものがお好きなのだ」と思いながら読んでいました。
歳三の心の中など、実際に描いたものもの辞していないのに、どうしてほかの人が知ることができるのだろう。
要は中学生的な、冷めた目でツッコミながら命を懸けて戦う人の話を寝転んで読んでいたのです。
ラスト13ページ、最終章に入るまでは。
「その夜(歳三は)亡霊を見た」
そこから先は今も忘れることが出来ません。
土方歳三が五稜郭の陣営、自分の部屋で目にしたもの、そこに存在した人の群、その場面に、不意に自分も放りこまれていました。
「みな、京都のころの衣装を身につけて、のんきそうな表情をしていた」
あの時の、状況が浮き上がった動揺は、今でもその状況ごと覚えています。
目の前に、先に逝った人たちが寝転び、座り、語りかけ。
不真面目な読者に対しても、司馬遼太郎の文章ははっきりと語りかけてくれたのです。
以来、数えきれないほど本を読んできましたが、「燃えよ剣」の最終章ほど不意打ちに上京を浮かび上がらせる本とは出会ったことはありません。
もう一度読み返すのも、こわくて読了後かなり放置をしていた本。
けれど決して捨てられず、何度かの転居でいつもついて来ている本です。
本は多読である必要はない。
こういった出会いを一生に一度でもできれば、それはそれでいい出会いなのだ。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」は、中学生だった私に、そう思い知らせてくれた本でした。
司馬遼太郎なら「燃えよ剣」