自分の理想の世界へ旅立ち、しかしそこから元の場所へ戻ることを決意するには一体何が必要なのか。元

の場所へ戻ることは価値があるのか。

あの有名なハリウッド映画「ネバ―エンディング・ストーリー」の原作であるこの作品(と言っても、ストーリーの行方を巡って原作者ミヒャエル・エンデと制作サイドの間で揉めに揉めまくって訴訟沙汰に)は、そんな疑問の答えの欠片を私達に教えてくれるんじゃないかと思います。

とにかくストレスが多い現代社会、日本でも十年ほど前から「なろう系」と呼ばれる異世界転生の作品を至るところで目にするようになりました。

主人公は大体において無職ニートだったり、社畜人生でがんじがらめだったり、親ガチャ大失敗……と、何らか現実の社会に追い詰められているところからスタートして、あっさりと死んだり死んだり死んだりして異世界へ転生しちゃう話が多い感じでしょうか。

しかし、大体どの作品も転生した先の世界で第二の人生を送ることに焦点が当てられ、そこから戻ってくる、というのは少ない印象です(まあ前提として死んでることが多いので当然と言えば当然ですが……)。

「はてしない物語」はそんな異世界転生の元祖とも言える作品。細かい話をすると異世界転生ものはかなり起源が古いらしく、古今東西至るところでそういう話は存在するですが、映画化もされてメジャー路線に乗ったという意味では、本家本流と言っても過言ではないかと。

この物語はネタバレすると、なろう系とほぼ全く同じ流れ(本家本流ですから)で現実から異世界へ旅立ち、安定の俺TUEEEEEE!!!!を存分に謳歌し、しかしそこからまた現実へ戻ってくるまでを描いています。

前半と後半で話が分かれているのですが、前半が俺TUEEEEEE無双、後半が現実へ戻るためのはてしなく厳しい模索の旅です。


題名の「はてしない物語」という言葉にはまさに、一度逃げ出し、またそこへ戻るために主人公が経験した、終わりが見えないほど辛い道のりをも表現しています。

主人公BBB(バスチアン・バルタザール・ブックス)はデブでのろまで性格もあまりよろしくないいじめられっ子。

シングルファザーな父親はどこか息子にも冷淡で会話らしい会話もできないまま毎日ぎくしゃく。

趣味と言えば、自分の空想の世界での一人遊び。私も含めて、こういう人多いんじゃないでしょうか。

お母さんを亡くしている事が原因なのですが、正直あんまり好感度のある主役ではなく、読者サイドとしてもイライラさせられるタイプです。

BBBはある日、ふと立ち寄った本屋で手にした『はてしない物語』という本の不思議な力によって本の世界へ取り込まれ、そこで華々しい主役として活躍することになります。

崩壊寸前だった世界を救い、心優しく勇敢な少年アトレーユは友人に、驚異的な力を持つ竜フッフールは自分に懐きまくり、全てを切れる剣シカンダを手に入れ、ついでに容姿まで美形に生まれ変わって本の世界であるファンタジーエンを旅するBBB。

住人は漏れなく好意的、BBBのやる事なす事、歓声を上げて迎え入れます。

というのも、この世界ではBBBだけが持つ特殊能力があるんですね。異世界転生では主人公だけが持っている知識や技能で無双するのはお馴染みの展開です。

ファンタジーエンの住人は元々「名前をつける」ということができません。そのため新しく世界に何かを生み出すことができない中、全てを消していく「虚無」の出現によって世界は崩壊の危機に瀕していたのです。


そこへやってきたBBBが神器アウリン(とてつもない力があるがファンタジーエンの住人には使えない)によって物を生み出し、名前をつけてくれたおかげで世界を新しく救われた!という設定の中を旅するので、もう名実ともに王様気取り。多分、ここらへんでなろう系小説は終わったりすると思うんですが、「はてしない物語」の主題はここから現実へ戻ってくるまで。

BBBは無双状態の自分が現実世界のちょっとしたことを忘れていっている事に気付きます。神器アウリンは、自分の空想を具現化できるミラクルグッズ、しかしその力を使うごとに持っていた記憶が一つずつ消えるという代償があったのです。

無双旅の中でアウリンの力を使いすぎたBBBは自分がどこの誰で、何をしにここへやってきたのか、現実での生活も経験もほぼ全てをその頭の中から無くしてしまいます。

アウリンに刻まれた「汝の欲する事をなせ」という言葉通りに、自分の思い通りに、欲しいままにこの世界を旅してきたBBB。

ここにきてやっと元の記憶を無くすというのは、自分を失うこと、理想の形で作り上げた己の姿を保つことさえも、元々の自分がいなければ成り立たないのだと気づいた彼は、そこからなんとかして現実へ戻ろうとしますが……。

そこからの旅は本当に長くなるので詳細は割愛しますが、BBBは旅の最初にある人物から「本当に自分が何を欲しているのかを知るのはとても難しい」という言葉をもらっていました。それを深く考えることなどしなかったBBBは、自分の欲しいものなんて簡単じゃん! あれもこれもそれもぜーんぶ欲しい!! と理想を作り上げていきます。

しかし、それは本当に自分自身が必要としたものだったのか、ただ生きていくためにあったら便利、メリットがあるというだけの代物ではかったか、ということを理解し、自分の本当にしたいこと、望み、願望を探していくことになります。

私達の社会はストレスで溢れかえっています。

それは私達を取り巻く環境が、こうであるべき、こうだったらより良い人生である、という標語のもとに動いてしまっており、そこから外れる度に、私達は社会からのとてつもない圧力を感じてしまいます。

金・能力・名声・美貌、それらは私達の人生を、世界が示すところの「成功」に導くためのツールであり、ツールである以上、誰もが欲しがります。

しかし、そもそも成功しなければいけないのか、成功って何なんだ、自分の人生にとって本当に必要なものはその成功とやらなのか……そんな事を考え始めると、それらのツールの価値は一気に霧散し、手元に残る本当の望みについての新たな悩みが始まります。

私達はしばしば、自分の本来の願望と、社会が要求する理想形を混同しているのです。

有能でありたい、イケメン・美女になりたい、金がほしい、ちやほやされたい……それらの欲求はある種当然のものであるとみなされながらも、元をただしていくと、自分の存在を世界に形作るための手っ取り早い手段に過ぎません。

本当になりたい自分は何か、それらは当たり前のように答えが出るはずなのに、自分以外の社会というフィルターを通してしまうと、途端に型に嵌った金太郎飴のような顔しか出てこなくなります。

本当は能力なんてなくても、イケメン・美女じゃなくても、金がなくとも、ちやほやされなくてもいいはずなのに、それを持っていない自分に強烈なコンプレックスと周囲の圧がのしかかり、それらを持っている自分に生まれ変わりたい、そんな願望で支配されているのが現代社会という気がします。

個人的には金太郎飴の人生も悪くないとは思います。

何故なら世界がそれを要求し、基準にしてくるから。

私達はそこに迎合しない限り、厳しい成功と失敗の人生に振り分けられてしまいます。

とりあえず何とかしてついていけばある程度平穏に生きられるのだから……と日々を送りがち。

ただ、本当にこれでいいのか……という悩みは常に頭のどっかにあったりしますよね。

「はてしない物語」は、たとえ答えが見つからなくとも、本当の自分が求めているものは何かを一瞬考えさせてくれます。

異世界転生でそのまま帰ってこない人生も良いのかもしれない、永遠のストレスフリーこそ我が望み! それも正解かもしれません。

でももしかしたら夢や理想から帰ってくることで、自分のことをもう少しだけ知ることができるかもしれない、自分を知る事は楽しいかもしれない、そんな風に思える本です。

望みを巡る「はてしない物語」
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